「律する」と意気込んだことを忘れたくなくて

昨日、このブログ名を『律 [ritsu]』に変更した。「ASUOLA道場」は約1年ぐらい使ったことになるのかな。その間の更新頻度は低いものだったけれど。「ASUOLA道場」は、このブログを、このブログに書いていくことで自分が成長することを目指し、「道場に通う」ような気持ちでブログに何かを書いていければと思って名付けた。その前は「[mmnow] - my moleskine notebook on web」だったと思う。これはそのまま、MOLESKINE Notebookのように日常のメモを書いていければと思って付けた名前だった。
このブログを解説したのは2007年7月。2年という長いか短いかよく分からない期間だけど、その間にブログ名を変えたいと思った時は、何か、自分の中で何かがあったときだと思う。今回もそうだな。このブログは8割自分のため、2割自分に近い人たちに見てもらうことも考慮して、やっている。でも、それに当てはまらない第三者がこれを見て、役立つ情報があったんならそれは良かったことだし、実際との相違はおいて俺のことを何となく知ってくれたのなら、それも良いことだと思う。もちろん公開している文章なので、俺はバカなやつだけど、バカなことは書かないように気をつけてはいる。

ああ、自分のためにやってるからその名前には結構こだわるってことを書いておきたいだけだった。

ストイックは、ストア学派ストア学派の哲学者を意味する英語のストイック(Stoic)から来ています。また、ストア学派に特徴的な禁欲主義的な幸福論から、「自分の欲望を抑制し、情念に動かされることなく、賢者としての幸福を得ようとするさま」「禁欲的に厳しく身を持するさま」などを表します。さらに一般的に、「禁欲的に自分を律しているありよう」をさします。

第38回 ストイック | 10分でわかるカタカナ語(三省堂編修所) | 三省堂 ことばのコラム

ずっと『ストイック』という言葉が頭にあって、あんまり意味を考えないまま「ストイックにいきたいなぁ」と思っていたから最近調べてみた。ストイックという言葉が頭に浮かぶようになったのは、Tha Blue Herbがきっかけだと思う。彼らの詞のどこかにその言葉があったのか、彼らのスタイルからそう感じたのか。スタイルから感じるといえば、7年ぐらい前になるけれどNUMBの音を初めて聴いたとき、富士山でライブを見たとき、ストイックだなぁと感じたことがあった。ライブしているNUMBは僧侶みたいだった。僧侶って、なんだかストイックなイメージがある。

でも一般的なイメージはどうでもよくて、俺自身がストイックにやっていってると思えるかどうかが大事だ。「禁欲的に自分を律しているありよう」。禁欲的ってなんだ?「普遍的に感じるであろう様々な欲求・欲望(→欲)を、理性で抑えること。」か。欲っていうのは一番分かりやすいのが性欲で、今の時代なら金銭欲とか出世欲とかもそうなのかな。

性欲がすべての行動の元になっている、と言われることがあるけれど、自分もまぁその通りだろうと思っている。でも、性欲の赴くまま行動すればそれはただのサルで、たとえば性欲からくるエネルギーを、いかに他のこと(クリエイティブなことや、生産的なこと)に向けて行動できるかが、ものを、価値を生み出せるかどうかに大きく関わってくる。社会に応じたまっとうな方向にエネルギーを向けるということ。

ものを、価値を生み出す。それはすごい快楽を得られることだ。禁欲といって抑えた欲など比べものにならないほどだ。それを俺は知っている。いや、実際は分かってないかもしれないけれど、そうに違いないと気付いている。


Tha Blue Herbを聴きながらこれを書いていて、以前もTha Blue Herbを聴いて意識を鼓舞したことを思い出した。

俺はやってやってここまで来た男です

俺のことはやるんだってみんな知ってますよ

だからその仕事を俺にくれよ

くれ

今日あったことで思い出した曲より - 律 [for simple, minimal life]

これはいつだ?2008年02月20日。これは、今勤めている、といっても休職しているが、今も在籍している会社で働くことができるかもしれない、と分かった時に書いたものだ。

『だからその仕事を俺にくれよ』

そんな気持ちだった。


だが結果はどうだ?今の状態は。


仕事を、しなければいけない。
そのために自分を整えなければならない。
そのリズムを作らなければいけない。
まっとうに生きなければならない。
恥ずかしくない生き方をしなければけない。
成長しなければいけない。
切磋琢磨しなければいけない。


それで得られるものがある。得たいものがある。


自分がするべき仕事、今持っている仕事、それは本当にすばらしいものなんだ。仕事も仕事仲間も、仕事も関係のない俺の周りのものも、人たちも、本当にすばらしいものなんだ。

間違いなくそう思っているんだ。

だが、こんな、今の俺が力説しても、全く説得力がない。

自分の本当に思っていることに、言葉に力を与えるためには、自分を律することから始めなければならないと思った。


様々な種類の快楽がある。その快楽は様々なことで得ることができる。

そのためには、自分を律することが必要だ。

その様々な快楽を得たい。俺は快楽がどういうものか知っているはずだ。快楽を、何をすれば、どうすれば感じることができるか幸いなことに今でも十分知っている。もちろん、今知らないことはこれからどんどん知っていきたい。

快楽を得たい。その欲を否定する必要はない。だが、自分を律することなしには得られないはずだ。


「律する」とは『ある基準によって、物事を考えたり、処理したりする。』ことを言うらしい。

基準を決める。誰かに決められた基準ではなく、自分が生み出した基準。

そしてその基準を守っていく。こんなの自分に対する負荷なわけがない。それに、それを守るための行動に後悔が起こることは少ないだろう。

俺は恵まれているんだ。様々な暖かいサポートのもとで、自分で自分を手に入れたんだ。だけど、今の自分に自分をアピールすることができない。ありがとうの気持ちを返すこともできない。このままじゃ嫌だ。


『律』という言葉は「旋律」という言葉にも含まれていて。いいなぁ、と思ったんだ。俺はメロディーよりもビートが好きだけれども。


文章は夜に書いて朝に推敲するのがいいみたいだけど、こういう文章は夜に思ったことをそのまま残した方がいいかな。明日見たら恥ずかしい思いをするかもしれないけれど、今の勢いを残す方がいいと思うことにしよう。

大体ね、Tha Blue HerbやNUMBを暗い部屋で聴きたいと思い、聴きながら考え込むなんて、普通の状態じゃないんだ。

Tha Blue HerbとNUMB

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