このブログ、初めてのはてなダイアリーは

[mmnow] my moleskine notebook on web と名付けたのは去年2007年の夏だ。そのことを3日ぐらいですっかり忘れてたんじゃないか、俺は。


「全てを手帳に記録する」、ユビキタス・キャプチャーの実践 | Lifehacking.jp

ものごとに「忘れる」すきを与えない安心の感覚。創造性や発想力。そしてなによりも、人生の一瞬一瞬を捉えて放さないぞ、という「コントロール」の感覚

こうした大事な瞬間を、まだ感覚が醒めないうちに走り書きする。そんなことを続けてゆくうちに、自分の人生が手帳のなかに織り込まれていきます。自分にとって大切なことはすべて手帳が代わりに覚えてくれている。この感覚が、人生をコントロールしている、という安心と自信を与えてくれます。

日々の仕事に追われる脳を休ませるためであれ、逃れてゆく時間をページに留めておくためであれ、ぜひおすすめしたい習慣、それがユビキタス・キャプチャーです。

これを読んでとても共感を持ち、いつだって形から入る俺はMOLESKINE Notebookを購入した。2007年7月11日。

Moleskine Ruled Notebook Large Classic

Moleskine Ruled Notebook Large Classic

職場で、電車の中で、メシ屋の中で、思ったことをすぐに書くこと自体も楽しく、たった数日後に読み返すことも楽しく、長期間続けることによる効果はまだ分からなかったが、自分にとっては大事なことだと感じることができた。何でも書いた。後から読み返すのを躊躇うかもな、ってことまで書いた。

同年同月、その頃やっていたブログ、それは自分のブログとしては5つ目で、それも含め過去それぞれのブログは全く繋がりもないのだが、そのブログの更新を訳あって辞め、それからどのくらいの期間が空いたのかは忘れたが、7月26日に、この[mmnow]を、id:x5gtrnとして開設した。名前の由来はもちろん、その時期から愛用を始めたMOLESKINEへのように、(これまでとは意識を変えて)気負わず、カッコつけず、なんでも書いていくものにしようと思ったからだ。


が、半年以上、そのような理由は忘れていたようだ。実際のMOLESKINEにはそれなりに書いていたが、このWeb上のものにはほとんど書いていなかった。

なぜか?

人には見せない「手帳」と、公開しているWebとの違いからだろうか。当時弱っていた自分のことを、紙面にもWebにも何でも書こうとは思ったものの、Webには、そのときは誰も見ていなかったとしても、後から誰かに見られる可能性があることを、嫌だと思ったのだろうか。

それとも単に、Webに書くことに力が入らない、面倒だと感じていたのだろうか。

いずれにせよ、何でも書く、は、全く実行されていなかった。


月日は流れ、今勢いでこれを書いているが、この文章だって、今誰かに読まれることを想像しても、数ヶ月後に自分がまた読むことを想像しても、恥ずかしい気分になるだろうな、と思う。

ただ今はそれ以上に、今、思っていたことが何だったのか分からなくなるのが嫌だ。自分一人で思ったことは、どんなことであれ恥ではない。それに対する誰かの感じ方を見て自分に恥を感じたとしても、だったら恥を感じてその上で何か行動なりを起こした方がよっぽどいいんじゃないか。それ以前に、過去を見て恥ずかしいと思う方が、過去を見て恥ずかしいと思うものすら残っていない(覚えていない、分からない)よりよっぽどいい。

ブログを作っては消し作っては消しを繰り返していた約2年間、ブログがどこまで関係あるのかは分からないが、自分の中に成長していない大きな部分があると気付いた。そこを成長させる大事な事柄が何であるかも気付いた。それは、色んなところにある、誰よりも自分が自分に感じる「今の恥」とか「変なプライド」とか、捨ててしまうことだ。

それがあるから何もやらない。やらないってことはできないってことだ。それでできないことを、自分にできると言い聞かせることはこの場合無意味だ。だって、結局やってないんだから。

じっくり考えたいから、そのための時間をつくったときに、恥ずかしくない文章にすることができてから…、そんなんじゃ結局いつまでたっても始まらない、そのうちに忘れる。もしくは忘れたふりをしているだけで、頭の中はいつまでたってもすっきりせず、まともに何かを考えられる状態じゃなかったのかもしれない。そんなことだらけだった。

同じ失敗だったなと気付かなかったわけじゃない。気付いてはいたんだ。だったら何か、解決や達成のために行動を変えろよ。

そうすれば、これまで自分の中で上手く立ち回れなかったところが解決すれば、楽しそうなことがいっぱい出てくる気がするんだ。