池谷 裕二『単純な脳、複雑な「私」』

単純な脳、複雑な「私」

単純な脳、複雑な「私」

「ラングトンの蟻」というのを初めて知った。これは興味深い。

平面が格子状に構成され、各マスが白または黒で塗られる。ここで、1つのマスを「アリ」とする。アリは各ステップで上下左右のいずれかのマスに移動することができる。アリは以下の規則に従って移動する。

  • 黒いマスにアリがいた場合、90°右に方向転換し、そのマスの色を反転させ、1マス前進する。
  • 白いマスにアリがいた場合、90°左に方向転換し、そのマスの色を反転させ、1マス前進する。

この単純な規則で驚くほど複雑な動作をする。当初でたらめな動作をしているが、アリはいずれ例外なく10000歩ほどうろついた後に真っ直ぐな「道」を作る動作に入る。これは初期のパターンがどうであろうと殆ど関係ない。

ラングトンのアリ - Wikipedia

↓これ。(これもWikipediaより)

この本の特設サイトにゆっくりした動画があるって、説明文に『「意志」を感じさせる動き。』とある。文中にもあった。

このラングトンの蟻の現象について「意志」と呼び、その発生の瞬間を「創造的なもの」と考えることが面白いと思った。

創発の瞬間にたまたま居合わせると、僕らはひどく驚いてしまう。予想外だし、一見、あんな単純なルールの寄せ集めでは説明がつかないような、複雑なものを目の当たりにした気がしてしまう。
こう考えるとさ、「意図」とか「意志」とか、あるいは「生命っぽさ」というのは、本当にあらかじめそこに存在しているというよりは、意外と簡素なルール、数少ないルールの連鎖で創発されているだけであって、その最終結果を、僕らが単に崇高さを感じてしまっているだけだ、という気がしてこない?(p.351)
創発性」とは、それを感じる側、つまりヒトの脳にとってのみ意味のある現象であって、創造している当人、つまりシステム素子そのものは、いつも通りの動作を繰り返しているにすぎない。「創発してやろう」なんていう色気や魂胆なんてどこにもないと。(p.352)

まさに『単純な脳、複雑な「私」』だ。

創発ってあんまり聞かない言葉だなぁと思って調べてみた。

創発(そうはつ、emergence)とは、部分の性質の単純な総和にとどまらない性質が、全体として現れることである。局所的な複数の相互作用が複雑に組織化することで、個別の要素の振る舞いからは予測できないようなシステムが構成される。

創発 - Wikipedia

生物学で使われる言葉なのか。いわゆる創造性-creativeとは違うものなんだな。「創造的なもの」に近い意味だと勝手に解釈していた。でもこれも面白い。creativeに加えて、このemergenceもこれからの日常で意識したいと思った。例えばある音楽に対して良いと思うかどうかは、受け取る人次第なんだから。短調なミニマルがある瞬間で何かを新しい動きになることが大好きな自分もいるわけだから。